先日主人と食堂で昼食を食べた時のことです。
一人の女性が注文してテーブルに付いていると別の女性が入ってきて、先の女性にお金を貸して欲しいと言います。
結局お金は貸してもらえずにその女性はお店を出て行きました。
そのやりとりを聞いていた主人が私にこう言います。
「あの人五毛钱しかないんだって、五毛钱だったら一元のバスさえ乗れないじゃん。大丈夫なのかね~。」と。
「我只有五毛钱。wǒ zhǐyǒu wǔ máo qián 。」(五毛钱しかない)という表現、どこかで似たような表現を聞いたことがあります。
その時ふと、数年前初めて中国に来た頃の苦い出来事を思い出しました。
「五毛钱」の意味するところ
あの日,近くのスーパーで買い物をしてレシートの上部に庆祝国庆节qìngzhù guóqìngjiéと書かれた広告を見ていたら、そばに立っていた若い男性がそのレシートを指さしながら向かいのお店に案内されました。
私がすかさず自分は外国人であると伝えると、
「没事儿、没事儿、 免费。méishìr 、méishìr 、 miǎnfèi 。」(問題ない、問題ない、無料だから)
と言って案内された場所には女性のエステシャンが待機していて、いきなり私の顔にクリームを塗りはいじめ エステがはじまってしまったのです。
中国の国庆节のサービスの一つなのかと思いながら、おとなしくエステを受けていると、しばらくしてお店のオーナーと思われる男性が入ってきて英語で何やら尋ねてきます。
当時中国語もままならない私でしたが、英語はもっと分からなかったので
「我不会说英语。wǒ bùhuì shuō yīngyǔ。」(私英語は話せないんです)
というとその男性はちょっと困った様子で出て行ってしまいました。
するとまた、最初の男性が入って来て足の按摩をするといいます。
私がまたまた、
「我今天没有钱。wǒ jīntiān méiyǒu qián 。」(私、今日お金持ってないんです)
と言うと、
「没事儿、免费。méishìr 、 miǎnfèi。」(問題ないよ、無料だから)
と言って出ていきました。
そしてエステシャンの女性が洗面器に入ったお湯を私の足にかけ始めます。
するとまたオーナーらしい人が入ってきて按摩の値段を請求してきました。
この時点でどうやら自分は何かに引っかかってしまったことに気付き、
「刚才的先生说免费,而且我今天没有钱。gāngcái de xiānsheng shuō miǎnfèi , érqiě wǒ jīntiān méiyǒu qián」
(今の男性が無料だって言ってたし、私今日お金持ってないから)
と言うと、今度はエステシャンの女性までもが、
「你只有五毛钱也没有吗?不会吧。nǐzhǐyǒu wǔ máo qián yě méiyǒu ma ? búhuì ba 。」(あんた、五毛钱さえ持ってないの?そんなはずないでしょ)と言って圧力をかけてきました。
こうなったらとにかくこの場所から出なければと思い、顔のエステも半分で白いクリームが付いたままでしたが、
「不要不要,我要回家。búyào búyào , wǒ yào huíjiā」(要らない、要らない、私帰らなくっちゃ)と言って帰ろうとしました。
すると、エステシャンの女性が
「好好,不要紧。还没结束啊。hǎohǎo , búyàojǐn 。 hái méi jiéshù。」
(分かった分かった、慌てることないよ、まだ終わってないんだし)と言ってなだめ始めました。
もうその手には乗らないぞと思い、半分顔が白かろうが何だろうが、ここから出なくちゃと逃げる思いでどうにか出ることが出来ました。
帰ってから主人にその日の出来事を話すと、あっさりと「それって、キャッチセールスじゃん、捕まっちゃう人いるんだよねー。」と言われてしまいました。
まんまと引っかかってしまった自分が情けなくも感じましたが、同時に今後の中国生活のいい勉強にもなりました。
その時、エステシャンの女性が言った
「你只有五毛钱也没有吗?nǐzhǐyǒu wǔ máo qián yě méiyǒu ma ?」(あんた、五毛钱さえ持ってないの?)
という言葉が気になったので辞書で調べると、小銭の五毛钱という実際の意味だけでなく、小銭すら持ってないことを表す婉曲表現であることが分かりました。
当時一ついい勉強になったと思ったことをその時思い出したのです。
そこで主人に「本当に五毛钱しかない訳じゃなくって、小銭しかないっていうことの婉曲表現みたいよ。」と言うと主人は「へー、そうなんだ、そんなことよく知ってたね。」と褒めてくれたのですが、実は数年前の苦い経験から学んだ表現だったのです。