日本語だと可能を表す表現は「できる」という言葉一つで表現されます。
中国語だと基本的に3つの表現に分類されます。

1会・・・習得してできる場合

●他会开车tā huì kāichē(彼は車の運転ができる) 
●他会说汉语tā huì shuō hànyǔ(彼は中国語が話せる)

2能・・・能力があってできる場合や、状況や環境によってできる場合

●他能喝白酒tā néng hē báijiǔ(彼は白酒が飲める)
●你今天能够来吗?nǐ jīntiān nénggòu lái ma ? (今日来られる?)

3可以・・・許可されてできる場合

●这里可以拍照吗?zhèli kěyǐ pāizhào ma ?
(ここで写真をとってもいいですか?)
●你可以回去吧nǐ kěyǐ huíqù ba(帰っていいですよ)

「可以」は「能」で置き換える事もできるので「能」はけっこう便利な表現だったりします。

「会~的」の意味するところ

中国人の友人とおしゃべりしていて、新しい仕事はどうかと尋ねたところ、どうもあまり芳しくないようです。
基本的に一週間に一度休みがもらえますが、日本に比べて労働条件は決して良いとは言えないようです。

大抵早番と遅番がありますが、やはり老板の都合が優先される為、ギリギリまで予定が分からなかったりします。

また、中国では職種にもよるのでしょうが、労働条件が良くないことや、福利厚生などもよほど大きな会社でないとしっかりしていないため、若い人だけでなく中年層の人でもしょっちゅう仕事を変えたりします。

特に春節が一年の始まりなので、春節の前に仕事をやめて春節をゆっくり家族で過ごし、春節の後に心機一転で新たな仕事を始めるという人もいます。

私が彼女に別れ際に
「我希望你找个对你合适的工作。
wǒ xīwàng nǐ zhǎo gè duì nǐ héshì de gōngzuò 」
(あなたにとってふさわしい仕事が見つかることを希望しています)
と言うと彼女は
「我会的。wǒ huì de 」(きっとそうなるよ)
と答えました。

また子育てに奮闘中の友人とメールでやりとりしていて、最後に
「带宝贝真不容易,不过很多人说开心比辛苦多…。加油!
dài bǎobèi zhēn bùróng yì , bùguò hěn duō rén shuō kāixīn bǐ xīnkǔ duō …。 jiāyóu !」
(赤ちゃんの世話は楽じゃないけど、喜びのほうが苦労よりも多いって言うよね。頑張って!)
と送ると
「是的,看着小宝宝一天天长大是一件开心的事。我会努力的。
shìde , kàn zhexiǎo bǎobǎo yītiān tiānzháng dà shì yī jiàn kāixīn de shì 。 wǒ huì nǔlì de 。」
(その通り。赤ちゃんが一日一日成長するのを見るのは喜びの一つだよ。私きっと努力するからね。)
と返ってきました。

こういう時に「会~的」を使うのか、といい勉強になりました。
ちょっと聞くとなんだか自信ありげな表現で、日本人的には使い慣れないような表現でもありますが、見方を変えると相手を安心させる表現でもあるといえるかもしれません。

謙遜して「自分にできるかどうか・・・」ではなく「きっとできるよ、そうするよ」というのは弱肉強食社会の中国で生きていくための秘訣なのかもしれません。