中国に来たてのころ、近くのスーパーに買い物に行くのも結構なストレスでした。
買い物をしてレジに並ぶと必ず、
「有会员卡吗?yǒu huìyuán kǎ ma ?」(会員カードはありますか)
とぶっきらぼうに聞かれます。
最初はそんな簡単な質問でも早口過ぎて何を聞かれているのか分かりませんでした。
とりあえず前に並んでいた人が
「没有méiyǒu」(ありません)
と言っていたので私も同じように言っておきました。
次にまたレジの人が
「要袋子吗?yào dàizi ma ?」(袋はいりますか)
と聞きます。
必要であれば、
「要yào」(いります)
ですし、必要なければ
「不要búyào」(いりません)
と答えます。
日本でも近年レジ袋削減のために買い物袋を持ってきたお客さんにはポイントを付けてくれるなどのサービスを行っているスーパーは少なくありません。
中国の場合はレジ袋は有料です。
しかも一枚0・2元もします。
たかが0・2元されど0・2元、市場で買い物をする時にはこの0・2元もけっこう貴重な存在なので、私はいつも買い物袋を持って歩くようにしています。
つまり私の場合
「要袋子吗?yào dàizi ma ?」(袋はいりますか)
と聞かれるといつも、
「不要búyào」(いりません)
と答えていました。
「不要」と「不用」では与える印象が違う
スーパーのレジなどの場合はまだしも、普段友人との間で「いる」「いらない」のやりとりをする場合、
「要yào」(いります)
はそのままでいいのですが、
「不要búyào」(いりません)
はかなりきつく聞こえます。
そのためこの場合は
「不用búyòng」(必要ありません)
と言う方が与える印象が違うことに気付くようになりました。
例えば、友人の家に遊びに行ったとします。
すると最近ご近所の方が里帰りした際お土産に買ってきてくれた特産のおつまみを出してくれて、お茶受けにみんなで頂きます。
私は「好吃,好吃。hǎochī , hǎochī 」(美味しい、美味しい)と言って遠慮せずに頂きます。
友人も私がその味を気に入ったことが分かり、私が帰る際にそのもらったお土産を手土産として持たせてくれようとします。
さすがに私もご近所の方がその友人のために買ってきたお土産を持って帰るのは気が引けます。
そんな時には
「不用,不用。búyòng,búyòng」(必要ありません、必要ありません)
と言います。
相手もこちらが遠慮していると思いかなりしつこく勧めますが、何度か
「不用búyòng」(必要ありません)
を繰り返すと相手もこちらの気持ちを分かってくれてそれ以上勧めません。
しかもこの表現は
「不要búyào」(いりません)
とは違ってぶっきらぼうな感じの印象を相手に与えないので日常よく使う表現とも言えます。
もちろん
「不要búyào」(いりません)
と言う時の語気もぶっきらぼうな感じを与えるかどうかにかなり影響するというのは否めません。