友人から食事の誘いを受け、中国人の友人にも声をかけた時のことです。
その友人はどうも気持ちが乗らなかったのか、ちょっと考えたあとで、
「看情况吧。kàn qíngkuàng ba 」(ちょっと様子見かな。)
と答えました。
様子見と言っていたのでもし来たければれば来るだろうし、来れなければ連絡がくるだろうと思っていました。
ところがその日彼女は姿を現さず、来れないという連絡もありませんでした。
彼女は普段、比較的約束した時間を守るし、遅れるようなら前もって連絡をくれるのですが、この度は連絡ひとつありませんでした。
また、別の時にも彼女が、
「看情况吧。kàn qíngkuàng ba 」(ちょっと様子見かな。)
と言っていたのでこれはきっと来ないだろうな、と思ったら案の定そうでした。
「看情况吧。」は「前向きに考えておきます」的な表現
別の中国人の友人が春节(旧正月)に実家に戻らないと言っていたので、食事に誘った時のことです。
すると彼女の返事は、
「看情况吧。kàn qíngkuàng ba 」(ちょっと様子見かな。)
でした。
この時はじめてこの表現はいわゆる日本語でいうところの
「前向きに考えておきます。」
的な表現であることに気付いたのです。
様子見とは言うものの、どちらかと言うと可能性が低い場合に言葉を濁すときに使う言葉だったのです。
中国人って断れないのかな?と思う瞬間
中国人は一度築かれた関係は大切にするので、誘いを断ると相手の面子も自分の面子もつぶすことになるのであえて言葉を濁すのかもしれません。
そして行けないことを連絡しないのもやはり面子が関係しているのでしょう。
ではその次に会った時にどうするのか、と日本人は考えてしまいます。
実は相手がそのことを話題として持ち出すことはほとんどありません。
もちろん行けなかったことや連絡しなかったことをわびることもあまりありません。
その代わりに相手の好きそうな食べ物を手土産として持って来て,悪かった気持ちを表すということはあります。これもやはり面子が関係しているのでしょう。
こちらがあえてその話題を振るとまず言い訳をします。
人によっては面白いほど立派な言い訳をする人もいます。
こんな時には素直に謝れば済むことなのにな、と思うのですが、やはりそれは面子が許さないのでしょう。
文化の違いを感じる瞬間とも言えますね。